先日、渋沢栄一の経営者育成についての講義を聴きに行った。
講師は静岡県立大学の落合康裕准教授。主にファミリービジネスについて研究されている。
恥ずかしながら”新1万円札の人”くらいしか認識が無かったが、普通の人の10倍密度の濃い人生を送ったんじゃないかと思うくらい、凄いイノベーターだった。
江戸、明治、大正、昭和と4つの時代を生きたというだけで驚きだが、キャリアや功績(設立に関与した企業は500社!)、そして人脈も凄すぎ。
幼少期:家の商業活動に才を発揮。常に学問に触れる。
幕臣時代:徳川慶喜(一橋家)に仕える。フランス渡航の経験を活かし、日本で最初の株式会社「静岡商法会所」を設立。
官僚時代:大隈重信にスカウトされ、民部省改正掛長(各省庁の調整役みたいなもの)に。銀行制度や郵便制度、鉄道などさまざまな制度設計をする。
渋沢は、「企業家」を育成することに尽力した。当時は「経営者」という概念すらなかったわけで、大変だったと察する。
その際に注力したことは、次の3つに要約されるという。
①企業家の活動環境の整備…商工会や銀行などを設立した。
②企業家との協働と活動促進…出資や人脈をフル活用した。
③雇用経営者の発掘と育成…社員から叩き上げ、経営者へと育てた。
渋沢は、当時の財閥にみられた世襲を行わなかった。
独占することを嫌い、ガバナンスや競争の原理を経営に持ちこんだ。このあたりは、幼少期から磨かれた商売人の感性が根底にあったのかもしれない。
いずれにせよ、常に日本の経済・資本主義の発展・未来を俯瞰していたのだろう。そのためには己の信念を曲げない。なんかめっちゃカッコイイぞ、栄ちゃん!
500社の設立にかかわったという裏には、会社の設立人や投資家として渋沢の名前があると外部からの信用が全然違ったようで、そういった事情があったようだ。
とは言え、資本提供だけではこれだけの信用は得られなかったはずで、渋沢の人間性や人格といったものは今後探ってみたい。
あと、投資や人脈を提供するだけして「ハイ終わり、あとはよろしく~」ではなかったのもいい。
直接経営者と会って、面談したり報告させたり、或いは自ら車をかっ飛ばして経営実態を把握しに行ったという。生涯、現場主義者だった。
昨今、多くの企業の最たる経営課題は人手不足だが、それは労働者だけに限ったことではなく、経営者も然り。事業承継がうまくいかず倒産するケースが増えている。これは深刻だ。
そのため、事業承継のマッチングサービスも盛んのようだ。
渋沢がこのタイミングで新札に選ばれたのは、偶然か必然か知る由もないが、渋沢の経営者育成のマインドや手法は、今の時代も大いに参考になるのではないだろうか。