仕事柄、人事評価についての相談をよく受ける。
介護業を営むある企業。
今導入している評価制度の見直しを図りたいと相談を受けた。色々うまくいっていないようだ。ま、よくある話だ。
そこで、そもそも評価の目的は何かと訪ねると、「賞与を決めるため」と言う。ま、こちらもよくある話。
それに対して「御社は等級制度を入れていますよね。であれば、いっそ等級で賞与額を決めたらいかがでしょうか?」「そうすれば、憂鬱な評価査定をしなくてすみますよ。何と言ってもその時間がもったいないですよね」「特に貢献した社員には、表彰制度などを利用して+αつけてあげればよいのでは」と提案。
そこにいた経営者やリーダーは、目から鱗が落ちるように「確かにその通りだ」という反応を示す。何も無理して評価をする必要はないのだ。当たり前を疑え。
製造業を営むある企業。
現場リーダーは「うちは社長が社員全員の賞与額を決めている。但しその基準がよく分らず、社員はやってもやらなくても同じだ、ということでモチベーションが上がらない」と嘆く。
それに対して「御社は製造業ですよね。であれば、社長から『今期の売上(又は利益)が○○万円に到達したら○○万円の賞与を払います』と社員に約束することは難しいですか?数値目標を全社員に意識させ、評価するのはどうでしょうか?」と提案。
こちらの会社は、社員のモチベーションのためにむしろ評価を利用することを推奨したわけだ。
評価は無理にやる必要もないし、他方、利用することもできる。
「何のために評価をするのか?」この極めてシンプルな問いに対して、徹底的に自問自答・議論することで、憂鬱な評価に対する解決の糸口が見えてくる。