今年はパワハラ防止法が(中小企業に)施行されたこともあり、普段の業務でパワハラについて話をする機会が多い。
その中で、あることに気づいた。
それは、ほとんどの人がパワハラの判断において、セクハラのように「主観的要素で決まる」と思っているということ。
セクハラの判断は、被害者がどう感じたかといった主観的要素に拠るところが大きいが(客観的要素もゼロでないが)、パワハラはそうでなく、原則客観的要素で判断される。
今は何でもすぐに「○○ハラスメント」と言ったり、言ったもん勝ちみたいな風潮があるが(このような風潮、個人的にとても嫌だ)、パワハラは決してそうではない。
だから経営者やリーダーは、もし部下が「これってパワハラじゃないですか?」と言ってきても、一旦冷静になって考えてみる必要がある。
でもここで誰もが疑問を持つ。
一体どこまでがセーフ(指導)で、どこからがアウト(パワハラ)かという疑問だ。でもこれは、「宇宙の果てはどこまでで、その先はどうなっているのか?」と同じで、誰もが納得できる明確な答えなどない。
そんな時僕は、「指導の目的と手段が適切かどうか」という言葉に置き換えて考えてみることを勧めている。(まぁこれも「どこまでが適切で、どこからが適切でないか」という疑問は払拭できないが)
その中で、パワハラでないと客観的に判断できるのであれば、経営者・リーダーとしてちゃんと部下へ説明し教育することが大切だ。
パワハラは主観的要素で決まるものだと、ほとんどの人がセクハラと混同している。